再生物件
1 建物概要
1-1 概要および規模
名称 津留邸(二戸一長屋の東半分が津留邸であるが、便宜上全体の呼称とする)
員数 1棟
構造・形式 木造平屋 カラー鉄板瓦棒葺き 一部波板カラー鉄板葺き
位置 広島県尾道市西土堂町
種別 長屋
床面積 合計128.16平米
基礎 コンクリート(鉄筋の有無は未確認)
外壁 モルタル下地ドイツ壁、一部腰板張り
軒廻り 化粧野地および垂木あらわし
窓 アルミサッシに変更済
小屋組み 和小屋(京呂組み)
屋根形状 切妻を基本として主舎と東西舎を廊下が東西に繋ぐ。裏庭側は下屋を出す。
建築年代 昭和初年頃(同じ住宅群である森石邸、石田邸と同時期と推測される※1)
2 建物の特徴
2-1 周辺環境および敷地配置
西土堂の急峻な斜面地は、尾道駅前から見上げた際に多数の擬洋風建築の住宅群が望見できるという意味で、もっとも「尾道らしい」エリアといえる。一帯の景観が形成された歴史的背景は真野氏の所見に書かれている。その中に、津留邸は南東側にファサード(正面)を向けて建っている(実際には南東向きであるが、文中では以後、南向きと表現し、左右両翼をそれぞれ東舎、西舎と呼ぶこととする)
その中でも当該物件は、規模としてもシンメトリーな外観のバランスの良さ、また素材および仕上げが残っているという点においても、まちなみ景観上、中心的な位置を占めているといってよい。
西土堂には長屋形式の住宅は複数あるが、この建物は二戸一長屋を中央の躯体(主舎と呼ぶ)で背中合わせに繋ぎ、そこに切妻の大屋根を架けるという形式を採っており、それが4間(けん)幅というボリューム感のある妻面を現出させている秘訣である。1軒の家(1世帯)のように見せながら、実際には棟木ラインで左右に別世帯を成し、もちろん内部では行き来できない長屋というユニークな構成が、この建物の最大の特徴といえよう。
主舎の左右に、小規模な切妻が見える。3分の1ほどの間口の東舎と西舎が、あたかも三尊仏の脇侍のように付き従い、ゆったりとした水平的広がりと風格を与えている。世帯単位としては、正面から見上げて主舎の右半分と東舎部分が津留氏の住宅となっている。
出入口はそれぞれの両翼の側面に作られているので、2世帯は別々の石段を登ってアプローチする。このため、小路(しょうじ)単位で形成される町内会では、別個に帰属することになり、必要以上に顔を合わせる必要がなく、「壁1枚へだてる」関係でありながら、プライバシーの面で気遣いが少ない、という側面があった(ただしこの点が主舎の修繕にマイナスに働いたことは後述する)。
南側は5メートル以上の高さの切石積み石垣が切り立ち、そのまま隣地境界となる。また北側背面もまた石垣が迫っており、南北方向には敷地の余裕がない。正面はほぼシンメトリーに見えるが、東舎に比べて西舎の方が幅が15センチ広く、また手前方向に106センチ突出している。これは不整形な敷地形状のためである。
2-2 平面形状
東舎は玄関と洋間、納戸から成り切妻屋根が南北方向に架かる。中央の主舎の東半分に六畳・三畳・三畳そして4畳大の台所が南北方向に連続している。このうち六畳間には床の間と床脇がしつらえてある。ふたつの三畳間は無窓である。主舎と東舎を繋ぐ位置に六畳和室と廊下があり東西方向の屋根が架かる。この東側世帯を主舎棟木ラインでほぼ「鏡面反転」させた形で西側世帯がある。ただし、前述のように玄関から洋間にかけて、西側世帯の方がわずかに広い。
床面積は東側世帯(津留氏宅)が62.75平米、西側世帯が65.41平米であり、長屋全体では128.16平米である。
2-3 外観とその変遷
現状では、東舎は東南西の3面ともがモルタル仕上げとなっている。切妻面上部の格子状のハーフティンバー装飾は残っているが腰板はすでにない。
西舎は後述の主舎同様、下見板の腰板が残るが、上部はモルタル仕上げとなっている。東舎も西舎も改修されたと考えられる。
中央に位置する主舎の南側外観は、この建物の当初の姿を最も良く保っていると思われる。便宜上、上中下の3ゾーンに区切る。
下部には腰板を張る。擬洋風建築に多用される「南京下見板」(厚20 働き幅230ミリ)である。
腰板から軒桁ラインまでの中間部は荒々しい凹凸のある左官仕上となっている。これをドイツ壁と呼ぶ。色モルタルまたはセメント類を竹べらあるいはブラシなどで壁に叩きつけて付着させる工法であり、「掻き落とし仕上」と異なり高低差10ミリ近いゴツゴツした凹凸が表現できる(文献によっては掻き落としとドイツ壁を同一のものとする記述がある)。ドイツ壁は大正期から昭和初期の「洋館」の意匠として全国的に普及した工法のひとつであり、尾道でも和泉家別宅(通称ガウディハウス)洋館部や弓場邸にも見られ、時代を表わす指標としてまちなみ景観の向上に大きく寄与している。
桁ラインより上部は、9本の束(つか)と横架材をハーフティンバー風に顕わし、各束の下端には化粧材の木口を突出させている。木材で囲まれた正方形の面内は、やはりドイツ壁で仕上げられている。棟持ち柱の両側に木製のガラリが取り付けられている。これは、実際に通風効果があることが、屋根裏内の調査で確認された。
この主舎南面は、実は外壁劣化が最も激しく表れている面でもある。中間部の中央は4㎡ほどドイツ壁が剥離し、中塗りおよび木ずりの下地板が露出したままとなっている。
なぜ東西両翼部は改修され、主舎が当初に近い形を保っているのか。それは、前述した「長屋隣人との関係の希薄さ」言い換えれば、合意形成の困難さが背景にある、と津留氏は語っている。修繕にかかわる打ち合わせ等がしにくいため、肝心の中央部は手入れがされず、自由に手を加えられる両翼部が、現状変更を含む改修を経てきているということができよう。これは主舎で二世帯が接する二戸一長屋の特有の状況であるとともに、建物の復原を考察する上でも重要な示唆を与えている。
2-4 内部空間
主舎および両翼部ともに外観は擬洋風であるが、内部も洋間とされているのは両翼部のみである。ここは大壁づくりで天井は折り上げ格天井である。
しかしそれ以外の主舎の内部は和室のしつらえである。「外観洋風・内部和風」という和洋折衷住宅のスタイルもまた、大正〜昭和初期の住宅建築の特徴であり、この建物の歴史的遺構としての重要性を物語っている。特に津留邸は台所および浴室以外の内部改変が少なく、文化財的価値は高いというべきである。
3 結語
津留邸(長屋)は、第一に、尾道駅裏の景観にとってきわめて重要な要素となっている。
尾道の玄関口である尾道駅を利用する市民にとっても、また鉄道で尾道に到着する観光客にとっても、最初に目にする風景は国宝級の寺社建築ではなく、この駅裏の斜面地の洋館群であろう。1996年の登録文化財制度のスタート以来、近代建築としての擬洋風建築(いわゆる洋館)が、文化財としてまたまちなみ景観の欠かせない要素として注目を集めているが、尾道の駅裏ほど密集して洋館群が現存するエリアは全国的にも珍しい。その中でも、最も大きな正面のボリュームを持つ洋館のひとつである津留邸は、まちなみ形成にとって、極めて重要な存在である。
第二に、近代日本の住宅建築史において典型的な大正〜昭和初期の和洋折衷住宅の形を、相当程度オリジナルな状態で維持している貴重な建物である。まちなみ形成事業においては外観が主な検討対象であるが、それだけでなく内部についてもほとんど改変が無いという点で、学術的にも貴重な遺構というべきであろう。
第三に、切妻主舎をセンターで分割するというユニークな空間構成、その特殊性において他に類例を見いだしにくいものである。少なくとも駅前2号線から望見できる範囲内では唯一である。多分に景観に配慮した原設計の趣旨をわれわれが再評価することは重要なことであろう。
第四に、上述したような貴重でユニークな建物が、経年劣化により現在、非常に危機的な状況にあるということである。特に南側外壁面はドイツ壁が剥離し、常時壁体内への浸水を許す状態にあり、また屋根の一部は破損し雨漏れを起こしかねない状態である。一刻も早い修繕と復原が望まれる。
※1 尾道市企画部世界遺産推進課編『尾道の町並み(二〇〇六年度 尾道市歴史的建造物及び町並み調査)』
©2008 尾道空き家再生プロジェクト